「テセウスの船」から何が生まれるか①

パラドックスとは

あなたはパラドックスというものを聞いたことはあるだろうか。

 

パラドックスというのは

「正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。」

とあるのだが、

わかりづらいと思うので例を出してみる。

 

「全能者は自分が持ち上げることができないほど重い石を作る事ができるか?」

 

や、


「砂山から数粒の砂を取り除いても砂山だが、数粒取り除く操作を何度もくり返し、最終的に一粒だけ残ったものも「砂山」と呼べるか。」

 

などである。簡単に考えればなぞなぞのようなものである。

まあ頭はぐるぐる回るが考えると楽しくもなる。

テセウスの船

さて、タイトルのテセウスの船だが、これもパラドックスの有名どころで、

 

「度重なる船の修理で部品交換を繰り返しているうちに、船ができた当初あった部品は全て無くなった。現在の船は最初の船と同一のものか。」

 

というものである。

僕はこれについて、船は同一のものであると思う。

なぜなら、それがそうであると世間で定められているからである。

わたしはなにも、みんながいっているからだ、と言っているわけではない。

 

ちょっとややこしいが次回はこれについての自分の考えを深く書いてみようと思う。

 

たぶん次回は相当わけのわからないものになっていると思います、

自分でもものすごい混乱しているので・・・温かい目で見てくだされば幸いです笑

 

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